葉隠と言えば、「武士道といふは死ぬ事と見付けたり…別に仔細なし。胸すわって進むなり。」で有名だけど、正直、自分みたいな「すくたれもの」には難しい。
だけど実は葉隠には、そんなムリなやつばかりじゃなくて、普通に実践的なアドバイスも結構ある。
『大事の思案は軽くすべし。/小事の思案は重くすべし。』
これについて自分は、やっぱり開発者で飯を食っているせいか、前半をリスク管理の問題、後半を品質管理の問題と捉えてしまう。
前半の『大事の思案』がなぜ軽いかについては、非常にクリティカルな事態に関しては、いざというときに判断に迷って対応が遅れたりしないように、普段から方針を定めておいて、即断即決できるように備えておくべきだという解釈になる。
後半の『小事の思案』がなぜ重いかについては、三島由紀夫が葉隠入門の中で、アリの穴から堤防が崩れるように、瑣末なことを軽んじる事によって生活の体系や重大な思想までもが台無しになると解説している。
で、もちろん前半も後半もどちらも大事なんだけど、どちらかというと自分なんかには後半の方が、より切実にピンと来る。(管理の比重が大きい人は前者かもしれない。)
例えば、コーディング規約なんかみたいなものでも、「ぎりぎり読めりゃいいじゃん」みたいに適当にしないで、きっちり律儀に守ってかないといけない。と自分は思う。
そこを疎かにするから、規約違反の放置->->内部品質の低下->->外部品質の低下->->製品品質の低下 ってな感じで、結局、また地獄になってくんじゃないかと。
で、この小さい事こそ大事ってのを、別角度から現代風に理論化したのが、割れ窓理論だと思う。
一般には、ジュリアーニ市長の時代にニューヨーク市が治安を回復したときにベースになった理論として有名なアレだけど、Wikipedia によるとこうなる
ささいに見える Duplicate code の放置が、コピペだらけの巨大な糞コードの山に繋がっていくという、まあ、ありがちなあれと同じじゃないだろうか。
で、この割れ窓理論をベースにした政策が「ゼロトレランス」だけど、開発現場に当てはめてみると、さしずめ Refactoring Mercilessly といったところか。
なんて事を考えていると、例えば、「途中return は是か非か」みたいな、一見不毛でアホらしい事についてムキになって議論するのも、けっこう大事というか、度を越さない範囲ならむしろ健全だとも思えてくる。もちろん自分もわりとムキになる方だ。
1 件のコメント:
10年経たいま振り返ると、当時はとんでもない精神論に思えた「武士道といふは死ぬ事と見付けたり…別に仔細なし。胸すわって進むなり。」も、とても合理的・論理的な気がするな。
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