TOEIC が提示している相関表の説明によると、「どんな状況でも適切なコミュニケーションができる素地を備えている」、「日常会話は完全理解」、「業務上も支障なし」とされている。
なんて言っても、実は「話す」「書く」が未経験でも「聴く」「読む」がソコソコできれば、割と取れる点数だったりする。自分もだいぶ前に 800を越えたが、恥ずかしながら全然喋った事なんかない。
つうか話す相手も機会も今のところ一切無いし、従って興味も沸かず努力のしようもないんだけど、ソフトウェア開発技術者としては、「読める」だけで結構役に立つ事がある。
以下の3つ。
◆ 英語でググれる
言うまでもなくインターネットは日本語情報より英語情報の方が圧倒的に多いし、技術情報は特に英語圏発のものが時間的にも先行している事が多い。
英語が読めると、Google の search settings で、English を設定しておいても別に問題ないから、情報量の少ない日本語サイトを避けて効率的に検索できる。
技術系BBSでのディスカッションやトラブルシューティングでも、海外の方が盛んで検索にもヒットしやすい。
◆ 技術系の洋書が読める
最近は、少しだけ改善したようだけど、一昔前の邦訳書は、かなり読みにくいものが多かった。APIリファレンス的なものはまだマシな方だけど、ちょっとユーモアを交えた語り口になったり、思想的に難解な話になったりすると、途端に日本語がおかしくなる。
邦訳書の日本語に対する文句は至る所で聞くけど、最初から原書にしておけば、無駄なイライラをせずにすむ。つうか、無駄な変換レイヤーが無いという点で情報処理の視点からもある意味合理的なわけで、技術者ならなおさら原書を選択すべき。
◆ ソースコードが英語に見えてくる
意外と意識されていない事が多いが、ほとんどの高級プログラミング言語は英語ベースだったりする。
まず単語の面で、言語のキーワードにおいても、各種 API の識別子においても、そのほとんどは英語の語彙、つまり何百年も前からアングロサクソンが日常のコミュニケーションの中で使ってきた言葉で構成されている。
また文法の面でも、意識的にか無意識的にか知らないけど、メソッド呼び出しの文が、「subject.verb(object)」みたいな感じで、だいたい英語の語順に従うようになっていたりする。
なので、上手に書いたプログラムは自然言語としての英語に近くなり、下手なコメントやダイアグラムなんかよりも、書き手の意図を読者に、より効率的、より直截に伝える高い表現力を持つ事ができる。
英語が「読める」ようになるだけでも、人間同士が意思疎通するコトバという観点から見たプログラムの良し悪しがより分かるようになり、ソースの読み書き両面に良い効用が出てくる。
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ちなみに、逆に英語が全然読めない人の場合、英文としての表現力さえ備えるに至った良質なコードを前にしても、解読を要する意味不明な記号の羅列か、もしかすると ASCII アート的な図形にしか見えていないのでは、と疑わしくなる場面がよくある。
こういう人達って、「ソースを読む」ではなく「ソースを解析する」という言い回しを好む。「ソースが言葉である」なんて事は脳内ですら成立したためしがないから、「読める」コードなんか自分でも書ける訳もなく、必然的に無駄なコメントだらけの残念なコードを書いてしまうことになる。
こういう人達って、「ソースを読む」ではなく「ソースを解析する」という言い回しを好む。「ソースが言葉である」なんて事は脳内ですら成立したためしがないから、「読める」コードなんか自分でも書ける訳もなく、必然的に無駄なコメントだらけの残念なコードを書いてしまうことになる。
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